言葉とはほかの生き物と人間とを分かつ特徴のひとつである。
それはこの世界でも変わらないだろう。
ほかの生き物からの優越性を信じているならば、動物に言葉を教えようとは思わない。
イルカは音波によってかなりの情報をやり取りするというし
サボテンはテレパシーがあるという。
眉唾物だけれど、人間はそれを理解しようと努力している。
理解しようと、努力しているのだ。
けっして彼らに人間の言葉を教えようとはしていない。
それは教えても甲斐がない、覚えられないと思っているからであって
それだけ人語を難解なものだと考えているのだ。
しかしラグナは「教えよう」とした。
シュミ族という異形の輩が人間と会話ができるのを見ているとはいえ
ムンバがそのシュミ族のひとつのありようだと知っているとはいえ
それでも、頭脳も小さく言葉を失った(おそらく記憶も失っているのではないか)存在に対し
言葉を教えようという考え方は異色だと思う。
それは当然シュミ族も感じた疑問らしく、同じ質問をした。
ラグナは答えた。
『言葉という便利なものを知らないのは不幸だ』
無邪気だ。
相手が学べそうだから教える、という計算はそこにはない。
便利だから伝えてやりたい。
ジャーナリスト志望の男はそれなりに言葉に対してつよい思いがあるようだった。


ムンバをより近いものとして理解しているシュミ族の長老は、当然ラグナとは違う考えをもっている。
思いは言葉にすることで伝わるが、言葉にすることで制限されるし誤解される。
そしてムンバはその言葉に頼らないコミュニケーションで、生きるために大切なことは伝えることができるから
ムンバには言葉は必要ない。そう考えていた。
しかしそれでも、シュミ族の人間はラグナにひきつけられるものがあったらしい。
どうして自分たちが人間に心を奪われたのかわからない。
姿かたちだろうか? 声だろうか? それとももっとほかのことだろうか?
わからないから、知的探究心にあふれた彼らはとりあえず姿の再現を目指したのだ。
像を作ってわからなかったら、おそらく声を再現するんだろうな。
そして動きも。地下へと降りていく町を作ってしまうような変人たちだから、いつかもう一人の作り物のラグナを生むことだろう。
それがシュミ族の最後の日のような気がする。
ヒャダルコも悪寒を感じたようだが
それでも像を作っている今だけなら問題はない。とりあえず、美しい夢はそのままにおいておくことにした。
辞そうとするヒャダルコを長老が止めた。
来客に贈り物をしたいのだが、シュミ族の間では何もしないものには何も与えないことにしているらしい。
ヒャダルコたち異邦人の存在をそもそも利益と考えないあたりが閉鎖的な生き物の面目といったところか。
ともあれ、贈り物をしたいから働けと言われた。
すごい理屈である。しかし乗りかかった船だからつきあってやることにした。


仕事の内容は、先ほどの像の制作を手伝えと言うものらしい。
その言葉を持って工房に向かったら、像を作るのに必要な石を集めて来いといわれる。
えーめんどくさいよ、と思ったのだが
いきなりヒャダルコがその工房の片隅から石を見つけて自らの才能をアピールするにつけ
しゃあねえ、手伝うことにした。
我が家の14インチのテレビでははっきり言って判別できないのだが
ヒャダルコは独特の嗅覚でも持っているのか
それとも壁と話すのが好きな男は、その壁を作る石にもうるさいのか
あっという間に5つ見つけてしまう。
拍子抜けしてしまうくらいに仕事が終わり
感謝されながら長老のところに贈り物をもらいに行ったところ
贈り物はモノではなく、単に手のひらを見せてもらっただけだった。
もの作りが大好きなシュミ族の間では
長老になるほどの男の手のひらを見ることは非常な名誉らしい。
……
まあ、仕事ってもたいしたことしていないし。
こんなものか。我慢するか。
あきれ果てたゼルと先生はとっとと帰ってしまい
ヒャダルコも久しぶりにガンブレードを一閃させたい誘惑と戦いながら部屋をあとにしようとすると
お付きがお土産をくれた。
それは『フェニックスの羽』という。
ずっと昔サイファーがくれた『メガフェニックス』から精製できるアイテムで
一度使ってフェニックスを呼び出しておくと
今後モルボルに全滅させられたときに復活させてくれるというすばらしいものだ。
すでに一度、モルボルに全滅させられて効果がなくなっちゃってるだろうから
もう一度使っておくことにする。