駅長室へと向かう長いタラップを下りきる。
さあ、演奏が始まる。
ステージは四つの丸い台座が連結しているもので
もっとも客席側にタップのセルフィ、その向かって斜め右後ろがフィドルの先生
左後ろがフルートのアーヴァインでいちばん後ろがギターのゼルである。
てっきり、ステージはひとつだけだと思っていたよ。
こうなるといちばん後ろになるギターを、いちばんでかいアーヴァインにするのが正解だったか。
でもまあ、いまさらもどるのめんどくさい。
ヒャダルコたちの到着を待ってセルフィが声を張り上げた。
「ガーデンの若き指導者ヒャダルコの前途を祝してセルフィが贈ります!
 『セルフィバンド』の素敵な演奏で〜す!」
そういう流れにするのなら
本心ではヒャダルコに挨拶をしてもらってから
すばらしい演奏を贈ることでぐっともりあげたらよかろうと思うが
まあ、ヒャダルコに挨拶とか要求するのはムリだろう。
とにかく楽器の選択はどうだったのか、だけが気になる。
セルフィのタップで始まった。そしてゼルのギター、先生のフィドル
あれ? アーヴァインのフルートは? 音が聞こえてこない。
うまくいったのか?


思ったよりずっと立派な演奏になったと思う。
そしてヒャダルコはアーヴァインに教えられたステージ脇へ向かう。
そこにはアーヴァインの言っていた雑誌が落ちていた。落ちていたが。
「あ……えっちぃ本が落ちてる」
雑誌って、エロ雑誌かよ。
いい場所であっても関わらずキープできると確信していたわけだ。
しかし学園には19までの人間がいるはずで
19にもなったら単なるエロ雑誌が結界になるはずがない。
それでもそのいい場所の周囲はまるで蚊取り線香をたきしめたかのように人払いがされていた。
これは、よほどの雑誌だと想像できる。
偏った趣味のものだろうか。しかしそうだとすると、パルプンテも悲鳴のひとつやふたつあげるだろう。
これはあるいは、薔薇○とかだったんじゃないだろうか。
ホモが嫌いな女なんてこの世にいないと木尾士目の漫画『げんしけん』で読んだ覚えがある。
だからパルプンテは読んだことがあるし、それゆえ耐性があるのだが
大半の男子生徒には強烈だ。
アーヴァイン、よく考えたなあ。
ただ、そんな雑誌をお前が持っていたということがどれほどの悪評になるか
そっちも考えられたらよかったなあ。
ヒャダルコも絡み合う男たちの地獄絵図にめまいを覚えるが
それがちょうど結界となって話すにはいい空気を作っている。
ムードを求めていないヒャダルコは、ホモ雑誌を無視することにした。
「話があるんだろ? ここでいいか? 話ってなんだ?」
隣りにやってきたパルプンテに訊く。
ヒャダルコ、ガーデンの指揮をとることになったよね。きっと、とっても大変なんだよね」
そんなことは言われなくてもわかっているヒャダルコは、こいつプレッシャーをかける気かとうんざりする。
しかしパルプンテのいいたいことはもちろん違った。
「辛いこととかグチ言っちゃいたいときとかいろんなことが起こると思うの
 でも、ヒャダルコは全部一人で抱えてムス〜って黙り込んじゃって悩むに違いないって話してたの」
みんなでヒャダルコが負わされた責任を想像して、心配してくれている。
いい奴らだ。でも「ムス〜って黙り込んじゃって」という表現は
心の中を話してくれない彼への苛立ちも多分に感じられるな。


その言葉はヒャダルコにとって意外なものだった。
自分が寝転がって世界を呪っている間、みんなは楽しく楽器の演奏をしていたのだろう。
そう思っていて、まあそれは間違いじゃないが
自分のことを気遣って話し合ってくれてもいたのだ。
(みんなで俺のことを?)
「みんなヒャダルコのマネが上手なんだよ。わたしもできるんだから」
隣り合う二人が同じように視線を地面に落とした。
「眉毛の間にシワ寄せて、こうやって……」
ヒャダルコが普段どおりに額に手をやって、隣を見ると鏡に映ったかのように同じしぐさをしている娘が見えたのだろう。
しかもその娘の目は笑っているはずだ。恥ずかしいに決まっている。
うろたえて振り払った手を二回後転してかわすと、パルプンテはまた抑えきれずに笑い出した。
憮然とするヒャダルコ
もう帰りたくなってしまった彼に、遊びすぎたと悟ったのだろう。
パルプンテはあわてて謝ると、拒絶する背中のすぐ後ろにしゃがみこんだ。
これまでゼル、キスティス先生を拒絶してきた背中の沈黙だが直球少女の前には無力だ。
みんなで話してたのはね。
続けると、ヒャダルコも聞く気になったらしい。
ヒャダルコが考えていること、一人じゃ答えを出せそうにないこと……」
ようやくからかいが終わって話が始まるのか。
そう油断したに違いないヒャダルコの背中を、パルプンテが思い切り突き飛ばした。
ちょっと! 下! ソーラーパネル! ガラスじゃないの?


調べてみたら、ソーラーパネルの材質は主に珪素(シリコン)らしい。
シリコンが簡単に割れるような物質なら、世の中の美乳は少し減るだろう。
つまり人間が降りたったくらいじゃ大丈夫なのだ。
それに考えてみれば、パネルの上に乗れないようでは
清掃、メンテ、台風のときの落下物などに対応できないもんな。
杞憂でしたよ。
それでもガラスっぽいところに突き落とされたヒャダルコは驚いたことだろう。
なにしやがる! とパルプンテに抗議する。
「なんでもいいの!」
相手が怒っているならさらに強く出れば勝てる。
それは正しいのだが、この賢者の知恵をパルプンテはどこから得たのだろう。
ゾーンとワッツのことを思うと涙がにじみ出てくるよ。
沈黙させられたヒャダルコに、なんでもいいからもっとわたしたちに話してくれ、と訴えた。
楽器の打ち合わせをしながら
励まされたけれどその不器用さも目の当たりにしたセルフィはそんな話をしたのだろう。
どうにかあの無愛想のガスを抜くことはできないだろうか?
みんなでそう話し合ったはずだ。
いろいろ考えたけれど「結局ヒャダルコが話してくれないとなにもできないだろう」という結論になって
そこでみんな不思議に思ったはずだ。
どうして彼は話してくれないのだろう?
仲間だと思ってくれているのに?
まっとうにそだったそいつらでは、友達に思ったことを「話さない」ほうが不自然だから
話すことが苦手な人間というものを耳で理解できても想像はできないはずだ。
とりあえず「話す」ということそれ自体がヒャダルコにとってどうやら苦痛らしいと結論するしかない。
どうやれば話してもらえるようになるのか?
受容的な態度とかではあの頑なさは覆らないだろう。
いま、力ずくで天岩戸を押し広げたタヂカラオが必要なのだ。
そしてそれをできるほどの傍若無人さをもっているのは
彼らの知る限り二人しかいない。
サイファーとパルプンテである。パルプンテがこの役を任せられたのも当然の経緯だった。


「わたしたちで役に立てることがあったら頼ってね、相談してねってこと。
 そうしてくれたら、わたしたちだっていままで以上にがんばるのにってキスティスたちと話したの」
ヒャダルコは何も答えられなかった。目の前に差し出された暖かい申し出に飛びつけない。
他人に頼るといつかつらい思いをすると、頼ってきたお姉ちゃんがいなくなったときに知ったから。
(いつまでも一緒にいられるわけじゃないんだ)
ここまで切実に失うことを恐れるからには、やはり彼らのことがとても大事になっているのだ。
ヒャダルコはまっすぐにパルプンテを見た。
何か言うべきだとわかっているが、言葉は頭の中でまわるだけで口から洩れてこない。
(自分を信じてくれる仲間がいて信頼できる大人がいて……
 それはとっても居心地のいい世界だけどそれに慣れると大変なんだ)
言葉にできない。思いは頭をめぐる。ヒャダルコはセルフィの言葉を思い出した。
ステージ跡地で慰めて、からかわれた時、色々考えて結局何も言わなかったら彼女は気を悪くした。
背中を見せたのは、仲間へのせめてもの思いやりかもしれない。
(ある日、居心地のいい世界から引き離されて誰もいなくなって……。
 知ってるか? それはとってもさびしくて……。それはとってもつらくて……)
ヒャダルコの思考はいつの間にか幼い言葉づかいになっていた。
おそらく、お姉ちゃんを失った時にまで心がさかのぼっているのだろう。
(いつかそういう時が来ちゃうんだ。立ち直るの、大変なんだぞ)
子どもは大人に比べて担える重さに限界があるし、考えられる幅に限界があるから
困難に立ち向かう時に、それを全て受け止めるのではなく
自分の意識を狭めてでも問題との接触点を狭くする防衛本能がある。
ずっと昔、お姉ちゃんと引き離されて苦しんでいたヒャダルコがそれを乗り切るためにしたことは
自分以外に確実なひとも、ものも、言葉も、何もない。
そう決めつけることだったのだろう。
(だったら最初から1人がいい。仲間なんて……いなくていい)
だから誰も必要としない、頼らないと極端な方針を採ったのだ。
それからの彼は、不幸なことにSeeDの仲間のように重要に関わる誰かにも
パルプンテのように好意を持って踏み込んでくる誰かにも出会えなかった。
だからその、狭い自分のまま大きくなってしまった。
お姉ちゃんとの別離のショックは確かに大きいが、たとえば17歳の今経験するのなら
「悲しい」は「悲しい」と感じながらも、逃げることなく解決するための行動が出来ただろうし
行動するうちで気持ちの整理もつけられただろうに。
つくづく不幸な子だ。


(仲間なんて……いなくていい。……ちがうか?)
振り向いて、パルプンテを見る。
この疑問の時だけはパルプンテを見たのは
この娘なら、自分と違う結論を出すのかもしれないと思ったからかもしれない。
しかし質問は口に出しておらず、自分の主義も口に出しておらず
パルプンテヒャダルコの気持ちを推測して励ますしかない。
大変な役目、おつかれさまです!
キスティス先生が自分でやりたがらないはずだよ。
しかしパルプンテは大変な役目をそう認識しているのかどうか
流れる音楽にあわせて楽しげに歩き始めた。
そしてまったく関係のないことを話しだした。
「こんなステキな夜、楽しい音楽……となりにはかっこいい男の子。
 おまけに、そのかっこいい彼は考えてくれるの。
 わたしが言ったことについてきっと、一生懸命考えてくれてる。
 彼、何も言わないけどわたしにはわかるんだ」
すごいな。
ほんとによくできたカウンセラーだ。
自分の思っていることをしゃべってくれないクランケに言葉を強要せず
そのままでもあなたは私を幸せにしてくれるんだよと伝えて、励ましている。
しかもこのカウンセラーは、ヒャダルコが深刻に考えたわけではないときは
その嗅覚で「もっと口に出せ」と言う機能もついているのだから恐れ入る。
どうでもいい時は口うるさいのに、本当に悩んで真剣に考えて、でも言葉にできない無力感を感じ取ったら
すかさず暖かく包んでやる。励ましてやる。
ビックリするくらい見事な臨床例だと思う。
ただ問題なのは、この娘はヒャダルコに好意を持っているし
おそらく技術でこのカウンセリングをしているわけではないから
ヒャダルコが自分に依存してきた時に
喜んで受け入れてしまうかもしれない点だが
とにかく今はカウンセリングが大事なので喜ぶことにしよう。