バスケットコートでセルフィを待つ。すでにゼルとパルプンテもやってきていた。
二人で待ってるならおしゃべりでもしていたらいいのに
3ポイントシュートくらいの距離を置いている。なんなんだ。
ヒャダルコが待機を命じてすぐにセルフィがやってきた。
さっき、壊れたステージのところで
ステージの下にボールが入ってしまったと嘆いている男の子がいたが
さすがセルフィは、その子のために取ってあげてきたらしい。
歩くボランティアというかなんというか
トラビアのためなら何でもしてやりたい気分なんだろうな。
ワガママをきいてくれてありがとう、とセルフィは皆に礼を言う。
「魔女とバトルするときは絶対連れて行ってね。
 カタキ討ちなんだから。もう、絶対なんだから」
トラビアの惨状は、セルフィにも魔女憎しの一念を植えつけたらしい。
そこにパルプンテがおそるおそる異議を唱えた。
「あのさ……
 バトル……しなくちゃダメなのかな。他の方法ってないのかな。
 誰も血を流さなくてすむようなそういう方法……」
セルフィは答えなかったが、代わりにゼルが憤然とする。いまさらそりゃねえだろよッ!
ゼルも、バラムを占領された。
ホテルの娘は泣いていたし、母親は疲れていたし、仲良しの親方は腕を折られたのだ。
怒る気持ちはよくわかる。


パルプンテはその剣幕にもなんとか抗弁しようとした。
「どこかの頭のいい博士とかがバトルしなくてもいい方法を考えてるとか……」
今までのところ、それを考えていたのは第一にデリングで、第二にイデアだが。
(だったらどうなんだよ……)
ヒャダルコは呆れる。他にも方法があるんだったら、それで何とかすればいい。
でも実際は誰も何もしていない。震えて、不安がって、文句言って考えてるふりしかしていない。
(そういうヤツは、人がすることにケチつけてなんだかんだ言うくせに
 結局自分では何もしないんだよな)
これまで自分の意見を言わない代わりに人の決定には従ってきたヒャダルコだけに
徹底していない無意見者には厳しいらしい。
全員が、とりわけパルプンテが自分の言葉を待っていることにヒャダルコは苛立ったようだった。
何でも思ったことを話してくれ、と言ってきた相手だ。
当然何かを言うことを期待しているだろう。
でも、ヒャダルコの意見はパルプンテとは大きく異なっている。
思っていることを口に出したら、パルプンテの喜ぶ内容にならないことくらいはヒャダルコにもわかる。
だから口に出すことを躊躇した。
しかしパルプンテはかまわなかった。
「考えてること声に出してくれないとわからないよ」
付き合いも、長くはないが深いのだからヒャダルコが言う意見は自分への反対だということくらいは想像がつくだろう。
それでも聞きたいのだ。そういう気持ちがこもっている。
その言葉に背を押されてヒャダルコは一歩進んだ。
「あんた……ティンバーの……一応レジスタンスだっただろ?
 他の口先だけの奴らと違って武器を取って戦っていた……」
ティンバーの住民は全てレジスタンスのメンバーだったが
実際に抵抗活動をしていたのは彼ら森のフクロウだけだった。
一人では戦えなかったとしても、腕から犬を発射する技は大変な威力だった。
戦うという基本方針に迷いはないと思っていたのだろう。
「それなのにどうしたんだよ? 何があったんだ?」
パルプンテは言いづらそうにしばらく口ごもり、怖くなったと呟いた。


彼女はみんなと一緒にいるとき感じることがあるという。
「今、わたしたちの呼吸のテンポが合ってる……そう感じること、あるの」
しかし
「でもね、戦いが始まると違うんだ。みんなのテンポがどんどん早くなっていく。
 わたしは置いていかれてなんとか追いつこうとしてでもやっぱりだめで……。
 みんな、どこまで行くんだろう。もう、みんなの呼吸、聞こえない」
パルプンテの精神の背骨はどうやら『一人ぼっちを恐れる』というものらしい。
たった一人で魔女の獣と戦うことができなかったし
普段も周囲の人間と呼吸を合わせることを無意識にもとめている。
パルプンテの根っこには、母親が事故で死んでから寂しかった幼少期があるのかもしれないな。
「わたしが追いつた時にはみんなは無事だろうか。笑顔で迎えてくれるだろうか。
 みんな倒れていないだろうか。みんな一緒に帰れるだろうか」
非常に興味深い意見だ。
科学とか苦手なのだが、速度があがるという現象には二つの原因があると思う。
ひとつは、常にエネルギーが加算されていること。
ひとつは、そのエネルギー量が減速する抵抗より大きいこと。
セルフィがカタキ討ちをいいだしたように、自分や大事な人間を傷つけられたら相手に対する憎しみがわきあがる。
しかしそれは敵も同じで、誰かの敵討ちのために繰り出した連続剣で倒れた誰かを悲しむ人間を向こうに作っている。
敵討ちとまで行かなくても、斬りつけられれば、殴られれば、焼かれれば相手を憎むのは当たり前だ。
つまり、戦いはそれ自体で加速する憎しみのエネルギーを常時追加していることになる。
それはパルプンテも同じはずだ。
しかし、ガーデンで傭兵の訓練を受けていないパルプンテと違い、ヒャダルコたちには
戦いに対する禁忌感や嫌悪感が著しく少ない。
つまり、一般人に比べて戦いをためらわせる抵抗が非常に少ないということだ。
この場合、憎しみのエネルギーは抵抗で減らされずにどんどんと加速されてしまう。
どんどんと戦闘に没頭してしまう。
パルプンテは漠然とそういうことを感じとったのだろう。
笑顔で迎えてくれるだろうか?(戦いが終わったあと、笑う気持ちを失ってしまわないだろうか?)
倒れていないだろうか?(生きていられるだろうか?)
一緒に帰れるだろうか。(同じ場所に帰ってきてくれるだろうか?)
どんどんと戦いに没頭していく姿を見れば、訓練を受けていない自分との差異をいやでも感じるはずだ。
言動に余裕があって同じ年齢の女の子であるセルフィですら
もう、戦うしかないしその時は自分がやる。
そう意思表明したのを聞いたことでその不安がふくれあがったのだろうか。
ともあれここで重要なのは
世間一般の人間はあきらかにヒャダルコよりもパルプンテ寄りだということだ。
人殺しの技術を5歳から叩き込まれてきた17歳なんてマンガかゲームの中の存在である。
それはもう、そう育ってきたのだから仕方がない。
しかし、その考えですべて通さないでほしい。それはきっとヒャダルコたちにとってよくないことだから。
一見弱気の発言でも敢えて貫いたのは
ヒャダルコたちの異常性を常に感じ取って心配してきたからではないだろうか。