マスターのいるフロアまでおりてきた。
MD層があったりマスターのいるフロアがあったりといろいろ裏の顔があるところだな、ここは。
うす蒼くほの光るその空間の装飾はたとえばガーデンの舞踏場などとは違う様式である。
近いものをあげるとするなら、ガルバディア・ガーデンかな。
あるいは魔女イデアのパレードカーとも近い気がする。
考えていてもしょうがない。マスターを探して歩くことにする。
ゆうざん師匠のエンカウントなしはつけなくても大丈夫だよな、いくらなんでも。
歩いていると
『これだけ言ってもわからないのか!』
誰かの怒声が聞こえてきた。誰だろう?
するとまたエレベーターが下りてきて中から現れたのはキスティス先生だった。
先生はシド学園長を探してここまで来たらしい。
ヒャダルコのためのエレベーター解除がまだ生きていたのか
先生はもと教師だから降りられるのか。
とりあえず一つわかることは
あなたにはいま師匠はついていない。
早く師匠をわりふってドーピングせにゃ!


先ほどの声はシド学園長だった。
マスターに話があってきたらしいが、望みの結果にはならなかったようだ。
「金の亡者のクソッタレの大バカ野郎! あんたに相談したのが間違いだった!」
って、散々だな学園長。
もともとこの学園はマスターの金で始めたんだよな。
マスターの金の力を利用してそれに甘えて魔女討伐で商品であるSeeDを散々消費して
いまになって「金の亡者」よばわりはひどいんじゃないのか。
イデア憎しでは俺も賛成するが
それでも出資者の気分を想像したらそんなことは言えないはずだ。
「SeeDはなあ、未来のためにまかれたタネだ! その未来が今なんだよ! それはあんただってわかってるだろうが!」
シドは平静な判断ができていないようだった。ヒャダルコたちにも気づかず教師に、マスターにくってかかる。

さて、昔一つの本の中でたとえ話を読んだことがある。
ある実業家が、友人たちとの起業に資本投下をしようとした息子をいさめるために話したものだ。
数人の若く有能(と息子は思っている)な若者たちに、息子は資本家として参加する。
経営をする者、製造をする者、セールスをする者、金を出す息子。
息子の描く前途洋洋たる未来を聴いたあとで、実業家は一つだけ息子に言ってきかせる。
「出資者の与えた恩というのはもっとも忘れられやすいものであり
 起業の苦労の中ではそれは加速されるものだ。
 経営が順調に行かなければ、誰かがこう思うだろう。
 『どうして俺が工場で商品をチェックしている間にあいつは顧客と500ドルの食事をしているのだろう?』
 そして近い将来確実に残りの全員がお前に対してこう思う。
 『どうしてあいつは、俺たちの稼いだ5ドルのうち1ドルを持っていくのだろう? 何も働いていないのに!』
 悲しいが、それが人間というものだ」
シドがまさにそれである。
この世の中でいちばん買うのが難しい商品は金である。
成功間違いなし(と本人が信じている)事業プランを抱えている起業家の大半が
金を集めることができずに死んでいく。
そこを助けてくれたマスターに対してこのセリフはあまりにもひどいと思う。
魔女の混乱を奇貨として排除に動いたとしても俺なら責めないよ。シドが甘えすぎている。


まあ、この言葉からするに最初の時点ではマスターもシドの危機を共有していたのかもしれない。
しかしひとは変わるものだ。
未来のためにまかれたはずのSeeDが、金という現世の幸せを実らせる様子を目の当たりにする日々で
マスターの信念は揺らいでしまったのだろう。
「過去へ戻れるなら十何年か前の自分に伝えてやりたい。ノーグを信じちゃいけない!
 ノーグはカネのことしか考えないってな!」
もし過去に戻ってそう言っていたら、バラム・ガーデン自体がなかっただろうな。
いつだって金を持っている人間が強いんだ。
そして、金をもたない人間は金の力を過小評価している。
だから、理想のために投げ出せるようなちっぽけなものだと思ってしまう。
しかし金を持っている人間は金の力を知っているから
理想のためだけでは出せないものなのだ。
金ってのは「ためる」「つかう」ではなく「かりる」「ふやす」もんですよ。
マスター・ノーグはちゃんと後者だった。
しかしシドは前者でしかなかった。
双方にとって不幸な出会いだったとしか言いようがない。
それよりもシドが見つめるべきは
ノーグの金であってもSeeDを育てた結果が無駄ではないという事実だ。
師匠を利用したなりふり構わない戦闘能力も培えたし
マスターの命令に服さないSeeDだってたくさん生まれただろう。
この上ノーグに資金援助を要求したってノーグにしてみれば
盗人に追い銭としか思えないことがどうしてわからないんだろう。
今回のFFに出てくるシドは
かつてないほどに小人物の気がしてきたよ。